最終更新日:2024年12月11日
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高取山は六甲山系の独立峰で、昔「神撫(かんなで)山」と呼ばれていました。標高328メートルの山頂からは神戸の市街地や港・神戸空港・東の摩耶六甲・西の鉢伏山・淡路島が望め、その眺望は「神戸らしい眺望景観10選」に選ばれています。登山道の途中には4つの茶屋があり、ハイカーの憩いの場となっています。山頂付近には高取神社が鎮座しており、早朝登山の場として四季を通じて多くの人に親しまれています。
明治時代の古地図にも掲載されていた面積58,000平方メートルにおよぶ農業用ため池です。震災後は産業廃棄物が次々と不法投棄されていました。2006年に「獅子ヶ池を美しくする会」が結成され、住民と神戸市が一体となり環境整備・里山づくりを進め、都会のオアシスに生まれ変わりました。
1億9千年前にマグマが地殻に貫入してできた六甲山塊が、その上に堆積した今から3千万年から100万年前の地層の上に衝きあげてできた断層です。新しい地層の上に古い地層がのり上下逆になっていることから、大規模な地殻変動が起きたことが示されています。1932年に発見・調査され、1937年に神戸市で唯一の国の天然記念物に指定されました。
神恩感謝、事物開闢の幸、安産、子ども達の健やかな成長を祈るために訪れる方々が多い神社です。約100年前に港湾関係の方々が中心となり福岡県久留米市の総本宮に勧請を願って建立されました。航海安全を願う神様でもあります。
豊かな自然環境に恵まれた丸山地域を流れる苅藻川流域は、住民の手で中洲や水路が整備され、地域に親しまれる川となっています。
長田区の中央付近に位置する公園です。市街地に一つ残った独立峰の山容と桜のハーモニーが美しいです。
「長田さん」と呼ばれ親しまれている神社です。本殿の裏にはご神木とされる樹齢800年のクスノキが堂々とした姿を見せています。長田神社の歴史は大変古く、日本書紀にもその名を見ることができます。現在の由緒ある長田神社の境内では、四季折々のお祭りが地元と協力し開催されています。なかでも毎年2月におこなわれる「長田神社古式追儺(ついな)式」は、県の重要無形民俗文化財に指定されています。2025年は2月2日(日曜)12時30分~18時に行われます。
治水と流路の改修工事により1901年から長田区内を流れるようになった新湊川は、北区・兵庫区・長田区の中部と南部を縦横断する面積が約30平方キロメートル、全長が4.7キロメートルと表六甲地域で最も大きな河川です。また新湊川トンネルは震災を契機に、それまでの川路である湊川隧道(ずいどう)に並行するような形で2000年に竣工しました。現在は、湊川隧道を通り抜けるイベントなども行われており、区民だけに留まらず広く親しまれています。
長田区の木「ハナミズキ」(2003年10月8日に選定)が街路樹として植えられている、区のメインロードである長田線(高速長田駅~宮川9丁目交差点)と区役所前道路です。2005年6月に「ハナミズキシンボルロード」と名づけられました。
神戸常盤アリーナ(兵庫県立文化体育館)の東側にある公園です。面積が34,000平方メートルにおよび、1周556メートルのウォーキングコース・グラウンド・芝生の丘・幼児の遊び場やストレッチなど体操ができる広場があります。
地中から湧き出た高取山の清水が、約500メートルにわたって地区内の道路沿いを流れるように整備された湧水路です。この湧水路は災害時に水の供給に役立つと期待されています。
総合遊具と枯山水やあずまやなどから、遊び場と静かに憩える空間が共存する公園です。ゾーンごとに季節の移り変わりを学習できる樹木を植栽され、御蔵(みくら)小学校児童による希望のモニュメントが建立されています。震災時の水不足の教訓から、災害時の生活用水にもなる100トンの耐震性防火水槽を地下に備えています。
芝生の丘や園路の曲線により柔らかい印象を受ける公園です。震災直後の1月31日、天皇皇后両陛下にお見舞いいただいた際に、皇后陛下から手向けられた水仙をモチーフにしたブロンズ製のモニュメントが建立されています。また震災前・震災時のまちの写真のエッチングプレート、「男はつらいよ」の撮影記念碑が設置されています。みくらすいせん公園と同様に、耐震性防火水槽を備えています。
2009年に完成した「鉄人28号」の巨大モニュメントです。「鉄人28号」の作者である神戸生まれの漫画家、横山光輝さんの偉業を称えるために発足した「KOBE鉄人PROJECT」のメンバーが中心となり、地域交流や観光振興の活性化を目的として創り上げました。高さは15.3メートル、総重量は50トンにもなります。
旧二葉小学校が2008年に惜しまれつつ約80年の歴史に幕を閉じた後に近隣住民の方の熱い想いを受け、2010年に改修されて誕生したコミュニティ施設です。市民の皆さんの交流・学びの場の提供や地域活動への参加支援を通じて、地域活性を担う人材育成を目指すとともに、多文化共生の推進にも取り組んでいます。
密集市街地において火災などの延焼を防止するスペースを確保することを目的に整備された空地のことです。災害時は一時避難場所や消防活動用地、緊急車両の回転地などの防災活動の場となり、平常時は広場・ポケットパークなどのコミュニティの場として利用されます。写真は「二葉じぞう広場」です。
駒ヶ林三丁目に鎮座する神社です。この神社前の浜辺では「左義長(さぎっちょ)」と呼ばれる行事が千年以上前から行われていました。左義長とは丸太や青竹などで作る高さ10メートル以上もある「お山」を作り、村の東西双方が浜辺で倒し合いをして、勝った方がその年中の網入れの優先権を得られる行事です。その壮絶な争いから「駒ヶ林のけんか祭り」と呼ばれたそうです。
長田港は漁港ではなく、和田岬以西唯一の港湾施設として昭和40年代前半から活況していました。当時は淡路へのカーフェリー発着場所でもありました。現在では長田港沖で獲れた鮮魚を漁師さんが水揚げし、駒ヶ林魚市場では日曜を除き連日競りが行われています。また駒ヶ林は「いかなごのくぎ煮」発祥の地としても知られ、駒ヶ林神社の大鳥居の前に石碑が立っています。