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2024年度新規採用職員辞令交付式での市長あいさつを掲載しています。
こんにちは。市長の久元喜造です。今日、神戸市役所に入庁されたみなさん、おめでとうございます。今日からみなさんは私たちの仲間です。苦楽を共にし、神戸市民の幸せのために、神戸の発展のために、一緒に汗を流していきましょう。
今日の日を迎えるまで、みなさんお一人お一人には色々な可能性があったと思います。最近は学生時代から起業する方も増えています。民間企業に就職する、あるいは今いる会社で引き続き仕事をする、別の職場に転籍する・・・色んな可能性がある中で、みなさんは神戸市という組織を選択されました。神戸市は大きな組織です。そのような組織に属するということはどういうことなのか、一緒に考えてみたいと思います。
フリーランスで仕事をするのではなくて、組織で仕事をするということは、その組織がその構成員に大きな影響を与えるということを意味します。組織が暗くジメジメしたものであれば、その組織に属するみなさんの気持ちも暗いことでしょう。逆に、組織が前向きで生き生きとした明るい雰囲気であれば、みなさんの毎日も楽しく明るいものであるはずです。大事なことは、みなさんがこの神戸市役所という組織に属するという選択をしたことは、私たちの組織をより良いものにしていく責務を持つということです。私たちの組織がより良いものとなるように、みなさんの力を発揮してほしいと思います。
組織に属するということは、組織に迎合することではありません。みなさん一人ひとり個性や人格は異なっています。バイオリンにピアノの音が出せないように、みなさんの音色をこれからも大切にしてください。一色に塗り込められた組織は弱いものです。さまざまな音色が響きあって、素晴らしいハーモニーを奏でることができるような組織を私たちは目指しています。
もうひとつ、みなさんはさまざまな公務員の組織の中で、神戸市という基礎自治体を選択されました。基礎自治体である市町村で仕事をするということは、市民、住民のすぐ近くで仕事をすることを意味します。私たちの前にある世界は、バーチャルな世界ではなくて、生きた現実の世界です。現実の世界の中に、一人ひとりの市民が暮らしています。一人ひとりの市民と向き合い、その顔を真正面から見つめ、その声に耳を傾け、苦しみや喜びを共にする。このことが、基礎自治体である神戸市で仕事をしていることの大きな意味です。ネットの情報も参考にしながら、自分の足で地域を歩き、その地域はどのような姿なのか、そこでどのようなことが起き、これから何が起きようとしているのかを自分の目で確かめる。自分の耳で聞き、漂ってくる香りを感じながら、目の前の現実と格闘していっていただきたいと思います。地域にしっかりと根を張り、その根を広げ、大きな幹に育てていくために一緒に頑張っていきましょう。
そしてみなさんは、数ある自治体の中でも神戸市を選択されました。みなさんの中には、神戸で生まれ育った方もいらっしゃると思います。神戸の出身ではないけれども、神戸の学校に進学された方、神戸にはこれまで縁がなかったけれども、神戸市役所に入庁する道を選ばれた方もいらっしゃると思います。神戸という街が、私たちを結んでいます。
神戸という街はどんな都市なのか。近代都市・神戸は、1868年の開港から始まりました。開港5港のひとつであった神戸は、開港後すぐに発展していきました。港が造営され、海外からはさまざまな商品、サービス、食習慣、芸術・文化、スポーツなどが入ってきました。当時の神戸の人々は目をキラキラと輝かせながら受け入れていったことでしょう。そしてそれらは、神戸から全国に広がっていきました。外国人もたくさん神戸に住むようになり、異なる国籍、民族、異なる宗教、文化的背景を持った人々が神戸市民と一緒に暮らすようになりました。そこから、外に開かれ、進取の気風に富んだ市民性が育まれていったと言われます。神戸はどんどん発展していきました。
しかし、試練はすぐにやってきました。第1次世界大戦末期に世界中に広がった、当時「スペイン風邪」と呼ばれた流行性感冒、今でいうインフルエンザです。すでに国際港湾都市であった神戸の被害はとりわけ大きなものでした。当時全国の自治体の中でも最先端と言われた神戸市の衛生行政は、感染をした人々に対する救護活動や防疫活動を進めました。神戸市政は、懸命にスペイン風と戦いながら、街づくりを進めました。当時制定された都市計画法をいち早く活用し、市電を次々に延長し、まちの区画を大きくし、近代的な街並みを整備していきました。それらの成果は、神戸市が100万都市となり、日本を代表する大都市として成長する礎となりました。
ほどなく、戦争の足跡が近づいてきました。とうとう戦争が始まり、戦争末期、1945年の大空襲によって神戸の街は灰塵に帰しました。京都以外の日本の大都市はほとんど全て空襲の被害を受けていますが、神戸市は市街地の約6割から7割が消失し、被災面積の割合は全国の都市の中で最大だったと言われています。
戦後、焼野原からの復興が始まりました。市民が力を合わせ、懸命にまちを復興させていきました。そして神戸の街は蘇りました。やがて山を削り、海を埋め立て、いま私たちがいるこのポートアイランドのような海上文化都市を建設し、全国の都市経営のモデルとなるようなまちづくりを進めていきました。都市基盤が充実し、神戸市民の生活基準も大きく向上をしました。
しかし、再び試練が襲います。1995年1月17日の大震災です。神戸の街は壊滅的な被害を受け、神戸市内だけで4571名の命が失われました。当時の神戸市役所の職員の多くは、自ら被災をしながらも、突然の災害に対して全力で立ち向かいました。救援・救護活動を行い、避難所を開設し、仮設住宅を建設して被災者の生活を確保し、街の復旧・復興へと進んでいきました。
その後の大きな試練は、言うまでもなく新型コロナウイルス感染症への対応です。神戸市の感染状況も深刻でした。危機を前にして、神戸では、医療従事者やさまざまな施設の関係者、学校、そして神戸市の職員も含め、企業や大学など多くのみなさんが手を携え、未曽有の危機に立ち向かいました。ワクチン接種も困難を極めました。国は東京と大阪に大規模接種会場をつくりましたが、神戸市民にはほとんど恩恵はありませんでした。そこで楽天グループに協力いただき、独自にノエビアスタジムに全国で最大規模の接種会場をつくりました。医師、看護師、保健師、薬剤師、大学、企業などさまざまな分野のみなさんが力を合わせ、ヴィッセル神戸の選手のみなさんの協力もいただき、神戸市独自のやり方でワクチンの接種を進めました。接種の申し込みはスマホやタブレットで行われましたが、シニア世代のみなさんには大学生などによる「ワクチン接種お助け隊」が受付をサポートしました。このようにして、私たちはいまオール神戸でコロナとの戦いを克服しようとしています。
度重なるさまざまな試練と苦難を乗り越える中で大きな役割を果たしてきたのが、神戸市政です。神戸市の職員の中には、試練と戦ってきた中で育まれた知恵や経験、思いが受け継がれています。焼野原になった終戦後の神戸のまちを復興させるために、戦災復興事業が盛んに行われましたが、若き日に戦災復興事業に携わった職員が、1995年の地震の後の震災復興事業の中核的役割を果たしました。そして、若き日に震災復興事業に携わった職員が、2011年の東日本大震災の被災地への支援活動の中心的役割を担いました。そして今、東日本大震災や熊本地震などの被災地に対する支援活動を行った職員が、能登半島地震の被災地域の中でリーダーシップを発揮し、そのような経験を持たない若い職員と一緒に汗を流し、被災地の支援活動に携わっています。
神戸は神戸のためだけにあるのではありません。大きな災害を受けた地域に対して、神戸の震災のときにいただいた支援に感謝の気持ちを抱きながら、支援を続けていきます。海外の都市に対しても、そしてグローバル社会の中で、貢献し続けることができる都市を目指します。
最後に、神戸市が経験をしたもうひとつの試練とその克服についてお話したいと思います。それは、29年前の震災の後に生じた財政危機です。震災からの復旧・復興には、多額の財源が必要でした。当時、国の支援は大変薄く、神戸市は独自に借金をして事業費に充てましたが、たちまち返済に行き詰まりました。神戸市財政は破産の危機に瀕したわけです。自治体の破産とは、当時の制度で言うと、財政再建団体に転落することで、国の管理下に置かれ、自治を失うことを意味します。神戸市は絶対にこれを避けなければならないとの決意の下、血の滲むような行財政改革を進めました。震災の年から20年の間に、全国の地方公務員は16パーセント減りましたが、神戸市では倍以上の33パーセントの職員を減らしました。さまざまな事業を中止し、徹底的に経費削減を行い、財政再建団体への転落を回避しました。20年近い歳月をかけて行財政改革を進めた結果、神戸市の財政対応力は回復しました。
今、神戸市は大きく変わりつつあります。あちこちでさまざまなチャレンジが始まっています。三宮駅前では工事の槌音が響き、ウォーターフロントには来年1万人規模のアリーナができるなど大きくその姿を変えようとしています。都心だけではなく、神戸の郊外の西神山手線、神戸電鉄、山陽電鉄などの沿線では、駅前のイノベーションが進み、駅前も見違えるようになりつつあります。かつて寂れていた六甲山も、いま新たな姿を見せつつありますし、荒廃が進んでいた里山や農村地域の再生も始まっています。
神戸は、未来に向かって大きく変わっていきます。これから変わり続けます。このような未来へのチャレンジは、神戸市職員が一丸となって取り組んだ財政再建の結果であることを申し上げなければなりません。神戸市の財政状況を示す指標は、20ある政令指定都市の中でも上位にあります。現在の方針の下に財政運営を行っていけば、神戸市の財政が危機的状況に陥ることはまずないと思います。仕事の費用対効果を上げる必要はありますし、働き方改革を進めなければなりませんが、理不尽なコストカットを行って職員のみなさんに負担をかけるようなことは絶対にありません。私たちは、私たちの組織の中でみなさんがしっかりと成長していくことができる環境を整えていきます。
神戸市は、今、安定した成長軌道を描き、未来に立って力強く歩んでいます。みなさんの力を思う存分に発揮し、神戸市民の幸せと神戸の発展のために貢献していただくことを期待し、歓迎のごあいさつといたします。