ホーム > 防災 > 災害の記録 > 阪神・淡路大震災 > 震災時の消防機関の対応

震災時の消防機関の対応

最終更新日:2024年9月6日

ここから本文です。

初動時(覚知)の概要

地震発生とほぼ同時に、118回線ある119受信専用回線が全て受信状態となった。それ以降も、119番通報は止むことなく鳴り続いた。受信件数は7時までに441件、17日は6,922件であった。

管制室では、長田管内での建物火災を受信し、第2出動を指令操作中に他の火災通報を受信したため同時多発火災であると判断し、それぞれの所轄で対応させる方針をとった。その間にも、各消防署には火災や救急を求める駆け込み通報が殺到したが、全部隊が出動しているため、情報通信勤務員は市民に対して理解が得られるよう懸命に現在の状況の説明にあたった。

消防力を遥かに超える災害発生件数に対して、現状の施設及び人員を活用し、対応するしかなす術はなかった。

緊急通報

火災防御の概要

火災は、地震発生直後には少なくとも市内50箇所以上で同時多発的に発生している。さらに、地震により消火栓が使用できなくなったことによる水利不足に加えて、建物倒壊、道路陥没等道路状況の悪化により消火活動は困難を極めた。

特に、木造家屋が密集している兵庫区や神戸市の地場産業であるケミカルシューズ関連工場の密集している長田区、須磨区では大規模な火災に移行した。そのため、消防隊は他都市応援部隊とともに懸命の防御活動を行った。

炎上する長田区二葉町の写真
炎上する長田区二葉町

日別の火災発生件数をみると、地震発生後から当日の24時間までの出火件数は109件であり、出火件数は、その後は漸減している。しかし、地震発生から3日後の19日以降においても、火災は依然発生している。

地震後10日間の出火件数合計は175件で、これは神戸市で平年に発生する火災件数の2か月分に相当する。また、ほぼ同時に火災が多発したため、消防機関のみならず一般市民も多数の人々が消火活動を行った。

日別火災件数

救助活動の概要

消防救助隊は各担当地区の多数生き埋め現場(西市民病院等)へ出動し、他都市応援隊、警察、自衛隊とともに、救出活動を行った。
木造家屋の倒壊においては、エンジンカッター、チェーンソー等の資器材が救出に役立ったが、その数量は不足していた。

ビル倒壊現場においては、従来の救助資器材(削岩機等)での活動は困難を極め、クレーン車等重機が必要であった。しかし、建設業者等も被害を受けていたことに加え、交通渋滞により、現場到着が非常に遅れた。

夜を徹して行われた救助活動の写真
夜を徹して行われた救助活動

また初期段階では、現有消防力では手がまわらず、そのため、市民自らの手で、家族、近隣住民の救出活動が行われ多数の人々が救出された。

日別救助人員状況

救急活動の概要

地震発生直後から、多数の負傷者が消防署に駆け込んできたため、消防署では応急救護所を開設し、救急隊員がトリアージを行い応急手当がなされた。また重症者については、救急隊により、医療機関へ搬送した。

市内の医療機関のうち、市立西市民病院、宮地病院が倒壊し、中山病院、高橋病院が焼損する等の被害を受けた。その他の病院においても,建物損傷、停電、断水等で手術等の医療処置が不能となった病院が多数あった。そのため、各救急隊において、受入病院の情報収集に努めた。

ヘリコプターによる転院搬送の様子
ヘリコプターによる転院搬送

また、高度医療が必要な患者の転院搬送や救急搬送が集中した病院からの転院搬送が多数発生した。

転院搬送等、市内の医療機関だけでは対応が困難であったため、周辺都市への遠距離搬送を行わなければならなかった。

転送先

さらに、20数万人に及ぶ被災者を収容している避難者からの救急要請件数も多数あり、救急出動件数は通常の3~4倍となる日が続いた。

事故別出動件数

お問い合わせ先

消防局総務部総務課